2015/11/01

東京の水 覚書(1997年10月2日記)

東京を歩いていると結構起伏のあることにきづく。
そして注意深く歩いていれば、谷底には曲がりくねった細い道が通っていたりする。 
それはかつての川の跡だ。

渋谷、代官山、宇田川町、地名と地形に痕跡を残す東京の原風景。
現代の道路は地形に沿ってではなく、地形を変えて通っている。
高層ビルが切り取る、空の輪郭は必ずしも地形の起伏を反映していない。

水は必ず高い所から低い方へと流れる。降った雨は谷に集まり、流れを作り川となる。
川の跡を忠実に辿れば、東京の地形がはっきりとわかる。

失われた水の気配を感じながら道を辿る。
想像力を膨らませる。人の流れ。水の流れ。

時には思いがけず、失われずに残っている湧き水に出会ったりもする。
東京砂漠、なんて使い古された言葉もあってなかなか信じられないかもしれないが、
東京の都心にも実はあちこちに湧水があったりする。

三方をコンクリートに囲まれ、巨大な排水溝と化した都市の川。
とても綺麗とは言えない水が流れる現実の川の姿は時には惨すぎ、あまりに近寄り難い。 
むしろ、暗渠の方が、イマジネーションを拡げさせる。
が、それでもその流れがどこから来て、どこに行くのか、気になってしまう。

子供のころ親や年寄りに聞かせられた話に出てくる風景。
家の本棚にあった古い区分地図。
それらは自分が生まれた時にはすでに存在していない。 
ドブ川や暗渠はそのものが子供の頃の原風景であるとともに、 
話のなかで体験した失われた風景の痕跡でもある。

それは後から移り住み暮らす人にとってはただの道でありドブ川であるだけかもしれないけど、
東京に生まれ育った者にとっての場と自分とをつなぐ手がかりである、といったらおおげさだろうか。
想像のなかで、決して蘇ることのない風景を復元しつつ、体験したことのない故郷の 風景に思いを馳せ、
川(跡)を歩いていく。

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