2016/02/07

【4-4】笄川根津邸支流

(※写真は特記ない限り2005年撮影です)

 長者丸支流の谷と台地を挟んだ南側の谷にも、かつて笄川の支流が流れていました。川の跡はほとんど残っていませんが、その水源は根津美術館の庭園の中に残り、今でも滾々と湧き出しています。今回はこの「笄川根津邸支流」とでもいうべきこの支流を、水源をメインに紹介します。
 まずは地図を。青の点線が、かつて川が流れていたルートとなります。
(地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工) 

根津邸と根津美術館

 根津美術館は、かつては実業家であり東武鉄道の経営で知られる根津嘉一郎(初代)が蒐集した古美術品を保存・展示するためにつくられた美術館で、1941年に開館しました。美しい庭園でも知られていますが、もともとこの地は彼の邸宅でもありました。彼は、この地の変化に富んだ地形を気に入り、1906年(明治39年)にこの地を購入します。
 写真は敷地の外壁です。高低差があること、緑が豊かなことがよくわかります。
(2015年再撮影)

美術館の庭園

 もともと谷底には江戸期よりため池があって、そこから流れだした川沿いは笄川本流長者丸支流と同様、原宿村の飛び地の水田となっていたようです。明治中期の地図には庭園のあたりに大きな池が描かれており、池よりも西、南青山5-4近辺から流れ出してた小川がそこを通っています。ただ、その頃になると耕作は放棄され、一帯は荒れ果てていたといいます。彼は邸宅を構えると同時に庭園を造園し、その際に池も湧水を利用して現在のかたちに整備されました。谷頭の地形を利用した庭園には、現在でも都心とは思えない山奥のような風景が残されています。

かつてあった湧水地点

 池を囲む谷の斜面には、3、4か所ほど湧水地点が設けられています。大部分は枯れていますが、1997年に訪問した際はその中の1か所は、自然の湧水そのままに、土の割れ目から水が湧き出していました。2005年の再訪時は残念ながら枯れていました。
(1997年撮影) 

今も残る湧水

 最大の湧水源は幸いに今でも豊富に水が湧いており、石樋や竹樋を伝って池に注いでいます。こちらの湧水は地中に管を挿して導水しているようです。(※港区2011年の調査では、1分あたり21.6リットルの湧水量が確認されています)。

湧水池

 庭園内の池は細長く、谷頭に近い西寄りはかなり水が澄んでいます。池の中にも井筒が設けられていて、水が湧きだしています。(※こちらは港区2011年の調査では、1分あたり6.7リットルの湧水量が確認されています)。

 池の東寄り、下流にあたる方は、周囲の木々が池に張り出し鬱蒼としています。かつてはこの奥から川と流れ出していたと思われます。

池を流れ出ていた川

 かつて、池の東端から流れ出た水は川となって笄川に向かっていました。下の写真で奥に見える森が根津美術館庭園です。最初の写真に写っていた塀の端っこが見えるかと思います。そして川は道路の右側に沿って奥から手前に流れていました。マンホールのある位置がかつての流路と思われます。
(2015年再撮影)

原宿村飛地

 マンホールの位置から北東側を見ると、左右に延びる帯状の浅い窪地が確認できます。この窪地がかつて原宿村の飛地の水田となっていた場所です。明治後期の地図を見ると、この窪地の底にも本流に平行した水路が描かれています。
 (2015年再撮影)

窪地の底の水路跡

 水路跡は、庭園寄り(上流方向)行き止まりの路地となっていて、下流方向は笄川の暗渠まで道が続いています。

笄川へ

 本流の方をかつての流路を下流方向に眺めた様子です。流れは道の左側に沿って流れ、分岐を直進し、その奥で笄川本流に合流していました。
(2015年再撮影)

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