2015/12/27

【2-10】宇田川松濤支流・三田用水神山口分水と神泉谷支流

(写真は特記ないかぎり2005年撮影のものです)

 宇田川本流の現在の渋谷BEAMの手前の付近では、かつて南西側にY字型に延びる谷戸からの支流が合流していました。この流れは現鍋島松濤公園の湧水池と、神泉谷からの湧水を源としており、江戸時代後期からは、三田用水の神山口分水が接続され、灌漑や水車の動力に利用されていました。これらの痕跡を下流側から辿っていきます。
(地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工)

暗渠の遊歩道 

 現在、流れの最下流部は東急百貨店本店の敷地となって消滅しており、暗渠を辿れるのはその西側からとなります。暗渠の上は遊歩道となっています。流域はかつて大向田圃と呼ばれる水田となっていましたが、大正後期に埋め立てられて造成され、川も直線化されました。
 大岡昇平の「少年」には以下のように描写されています。

「大向小学校(※)の裏は、今の鍋島公園と神泉の湧泉から流れ出る水の合わさった野川が流れている。川筋が直線に学校の敷地に沿っているのは、学校の敷地を埋め立てた時、修正したからだろう。松濤の台地を切り崩して埋立てたらしく、流れの北側は切り立った崖になっていた。」

※大向小学校は東急百貨店本店の場所にありました。

 遊歩道の終了地点の近辺が神泉谷方面からと松濤公園からの流れの合流地点でした。そこから右(北東)に向かうとすぐに鍋島松濤公園があります。

鍋島松濤公園

 松濤の一帯は江戸時代紀州徳川家の屋敷地で、明治時代には鍋島侯爵家が買い受け、茶園「松濤園」となりました。明治後期になり茶が売れなくなると、一帯は「鍋島農園」として果樹や小麦の畑に、そして大正後期には造成により宅地として分譲されていきます。その際、池の周囲は「鍋島松濤公園」として整備、東京府への寄付により開放されました。
 池は三方を囲まれた窪地(谷頭)の湧水池となっていて、江戸期より灌漑用の池として存在していたといい、東京都の調査によれば現在もわずかながら湧水があるようです(※)。

※2015年追記:2014年暮れから2015年2月にかけて、松濤公園の池の水が「かいぼり」でいったん抜かれました。終了後再度水を満たしていく過程で、現在も池では1時間1000リットル程度の湧水があることが確認されました。水は池の北岸を中心に、数カ所で湧き出していました。

三田用水神山口分水

 池の北西側からはかつて三田用水神山口分水が流入していました。三田用水は世田谷区北沢5-34で玉川上水から分水し、目黒区と渋谷区の境界沿いに台地の尾根筋を南東に進み代官山~目黒を経て白金・芝方面に達する用水で、もともとは飲料用の上水、その後は農業用水、そして明治以降は工業用水として1975年まで利用されていました。渋谷川水系にはいくつか分水がひかれ、神山口分水もそのひとつでした。
 これらの分水には、明治時代には精米・製粉や動力用の水車が数多く設けられました。神山口分水も、短いながら2ヶ所に水車がありました。ひとつは分水してすぐの松濤2-4近辺にあった永井水車、もうひとつは松濤公園の南東、渋谷消防署松濤派出所の裏手にあった有馬水車です。
 有馬水車は、動力を得るための落差を作るため、分水が松濤公園の池に流入する手前で東側の台地斜面に流路を分け、松濤派出所付近で滝状に落下させて水車を回していました。
 神山口分水は、明治期、松濤園の茶を育てるために分水の水量を増やしており、この二つの水車、そして前回記事に記した宇田川本流の大向橋付近に設けられていた伊勢万水車を安定稼働させることが可能となっていたようです。ただ、これらの水車は周囲の都市化や水害による破損に伴い、明治末期には稼働を停止していたようです。
 大岡昇平の「少年」には有馬水車の跡の滝についての描写があります。

「一年前に私の家がこの辺に引越して来た頃には遠く鍋島公園の手前で小さな滝になって落ちているのが見えた。ここが蛍の名所で、一度母に連れられて行ったことがある。蛍は滝の下の草叢に光っていた」

(地図出典:大岡昇平「少年−ある自伝の試み」1975)

2015年追記:松濤公園内の神山口分水の痕跡?

 水車の廃止、そして大正期の宅地開発に伴い、神山口分水や下流の川の流路は一本に整理されます。松濤公園付近では、池には水を落とさず、公園の北東側の道路に沿って水路が付け替えられました。

「滝がなくなってからも、水車跡と公園の間を下る坂に沿った溝を水があわただしくすべり落ちていた」(大岡昇平「少年」より)

 公園の北側の角をショートカットし道路沿いを流れる流路は、昭和初期の地籍図でも確認できます。さて、このショートカットの付近には現在公園内の遊歩道が通っているのですが、ちょうど流路に重なる部分の路上には等幅の僅かな盛り上がりが、コンクリート舗装に亀裂を作っていました(下右写真)。裏付けはとれていないのですが、これはもしかすると埋められた神山口分水の痕跡ではないかと思うのですが、真相や如何。
(地図出典:内山模型製図社「東京市渋谷区地籍図」1935)

2015年追記:三田用水の神山口分水取水口跡?

 山手通り沿い、東大駒場キャンパスの塀に沿って、現在でも三田用水の遺構が残っています。この区間は昭和初期、給水を受けていた日本麦酒(ヱビスビール)の手によって暗渠化されていますが、水路の高さを保つためか、路面より高い箱状の暗渠となっています。ここに、神山口分水の取水口と思しき遺構が残っています。写真中央、暗渠上に取手がある付近にご注目下さい。(写真は2009年撮影。)
(※2009年撮影)

 近づいてみると、暗渠の側面に柵付きの小さな穴が開いています。そして、下流側(左側)の暗渠上面には取っ手付きの点検口が設けられています。この蓋の下には堰が設けられているそうです。どうやらこの堰で水位を保ち、穴から神山口分水に水を分けていたようです。
(※2009年撮影)

神泉谷支流

 さて、松濤公園付近に戻ります。冒頭の遊歩道の終了地点付近では、かつて神泉谷からの流路が合流していました。現在では流路跡の道が井の頭線神泉駅方向に続いています。谷筋は細く、北側には谷戸の崖が迫っています。
 神泉谷は、江戸時代初期までは「隠亡谷(おんぼだに)」と呼ばれていたといいます。「隠亡(おんぼう)」は墓所の番人や寺社の清掃、火葬・埋葬に従事者するもの指す言葉です。隠亡の住む集落があったのでしょうか。火葬場だったとする説もありますが、江戸期までは火葬は一般的ではなかったこと、ちかくに幡ヶ谷の斎場もあったことから、違うのではないかと思います。

神泉駅の水路

 京王井の頭線の神泉駅は、神泉谷を横切る形でつくられており、駅の半分と渋谷側をトンネルに挟まれた珍しい形状をしています。流路跡が線路を横切るところには今でも蓋をされた細い水路があります。暗渠に直接つながっているわけではなさそうですが、隙間からは水が流れているのが見えます。
 線路の南側にも、この水路に続くかたちで怪しい未舗装の空間が道路端に残っています。更に延長し道路を挟んだ向かいのビルやマンションが建っている窪地が、かつて弘法湯のあった場所です。

弘法湯と神泉館

 神泉の地名は「空鉢仙人」(弘法大師との伝承も)に由来する霊泉からとられたといいます。江戸時代にはその水を利用した共同浴場「弘法湯」ができ、滝坂道(現淡島通り)を経由した淡島参り(下北沢・森厳寺の「淡島の灸」)の参拝客が帰りに立ち寄る場所として賑わったといいます。明治時代には浴場の2階が料亭となり、更には別館「神泉館」に発展。駒場練兵場などからも顧客を集めます。やがて料亭に出入りする芸者の置屋が出来、これらは円山町の花街のルーツとなりました。神泉館の庭には池があり、神泉支流の源流のひとつとなっていました。また、他にも湧水や井戸がいくつかあったそうです。
 「弘法湯」は1979年まで、井戸のひとつ「姫が井」の水を利用し銭湯として営業を続けましたが、現在は跡形もなくなっています。神泉館のあった付近にはマンションが建っており、周囲を囲まれた窪地の地形がかつての様子を忍ばせます。その入口には、明治19年に建てられた「神泉湯道」と刻まれた石碑が残されています。
 (※2014年撮影)

滝坂道

 神泉駅前の谷底の道を上がると滝坂道に出ます。滝坂道はいにしえの甲州街道で、現在途中まで淡島通りとなっています。滝坂道の名は調布の滝坂に抜ける道であることに由来しますが、雨が降ると坂道に水が滝の様に流れたためとの説もあるようです。

更に南に続く水路

 江戸期の地図には神泉町7番地近辺に池が描かれており、ここから神泉谷に向かって小川が描かれています。昭和初期の地籍図を見ると、滝坂道に沿って水路が流れ、神泉館の池からの流れに合流していたことがわかります。そしてその水路の上流部は、江戸期に池のあったという神泉町7番付近で滝坂道から分かれ更に南に延びています。この区間は途中からは台地上に上っており、周囲の雨水などを川に落とすために後から人工的に作られた水路と思われます。
(地図出典:内山模型製図社「東京市渋谷区地籍図」1935)

 山手通り近く、今でもその水路の痕跡は路地となって残っています。細い路地ですが、抜け道になっているのか、近隣の勤務者らしき人々が通り抜けていきます。その中で、かつてここが宇田川町まで続く水路だったということを知る人は誰もいないでしょう。
(※2014年撮影)

 以上で宇田川水系の探訪はおわりです。次回から渋谷川の中流とそこに流れ込む支流たちを辿っていくこととします。

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