2015/12/01

【1-7】明治神宮「清正の井」からの川と東池からの川


(写真は特記がない限り2005年撮影です。)

 明治神宮御苑内にある南池からも、渋谷川の支流が流れ出ていました。この川は原宿駅のホーム下を潜り、竹下通りの南側を流れた後、参道橋付近で渋谷川に合流していました。


原宿駅より東は暗渠化されていますが、神宮の境内には自然に近い源流部が残されています。源流からたどってみましょう。

清正の井

 水源のひとつ、神宮御苑内にある「清正の井」は谷頭の窪地にあり、今も清冽な清水が湧き出しています。加藤清正が掘ったとの伝承からこの名がつけられていますが、真相は定かではありません。一帯は江戸初期、加藤家の下屋敷でしたが、のちには井伊家下屋敷となりました。円筒型の木枠がはめられていますが、井の底からではなく木枠の横に開いた穴から水が湧き出す「横井戸」となっています。調査の結果、井戸の北側、神宮本殿近辺の浅い地下水脈を、かなり技巧的な構造で誘導し湧き出させていることがわかったそうです。


流れ出す水ともう一つの水路

 井戸から溢れ出た水は丸太で整えられた細い水路を下って菖蒲田に流れ込んでいます。林の中をよく見ると西側にもう一筋谷があって水路が造られています。こちらにはふだんは水は流れていませんが、辿っていくと御苑の外、神宮本殿の西側の森の中まで窪みが続いています。こちらが本来の谷頭だったのかもしれません。


谷戸の菖蒲田

 谷沿いは谷頭の水田の地形が残されており、菖蒲田として利用されています。水は水田の両端に沿って流れています。かつてはこのような光景が渋谷川水系のあちこちにあったのでしょう。6月には菖蒲の花が咲き、大勢の見物客が訪れます。


南池(なんち)

 明治神宮の森は100年かけて照葉樹林に遷移するよう計画的に植樹された人工林(実際にはそれより早く70年で遷移が完了した)ですが、神宮御苑だけは井伊家下屋敷時代からの庭園で、武蔵野の雑木林がそのまま残っている自然林だそうです。南池には、清正の井からの谷筋のほか、池の北東側からも短い谷筋からの水が合流しています。また、西側の代々木公園との境目となっている谷筋からの水も注いでいたようで、現在でも代々木公園から流れ込む流れが見られます。この水は、公園のバード・サンクチュアリの池からのもので、池の水は地下水を汲み上げているそうです。



渓谷

 南池を溢れた水は再び川となって流れ出ています。自然林の再現を目指して造られた神宮の森ですが、この川沿いだけは、もともとは谷底の荒地だったところを庭園風に石を配して渓谷風に造園されています。写真左側からは別のせせらぎが合流しており、池とは別の水源があるようです。


「ブラームスの小径」

 神宮を流れ出た川は山手線原宿駅のホーム下をくぐり、竹下通りの南側の路地裏を暗渠となって下っていっています。路上は煉瓦色のタイルで舗装されており、駅近くは「ブラームスの小径」、しばらく進んでいくと「フォンテーヌ通り」と名付けられており、小洒落た店が点在しています。


橋の痕跡?

 一部分だけ、タイル舗装がされていない場所がありました。橋の痕跡でしょうか。川は清正の井を谷頭とし西から東にのびる谷筋の南縁を流れ、明治後期まで川の左岸(北側)の水田を潤していました。水田が失くなった後も、戦後1960年代まで川の流れは暗渠化されずに残っていたようです。


護岸跡

 明治通り近くの谷が終わる辺りには、コンクリート護岸の痕跡らしきものが右岸沿いに残っていました。この先右手から下ってくる道に架かっていた「飴屋橋」を越えた先で川は二手に分かれていました。ひとつはまっすぐ東に進んで渋谷川に直接合流し、もうひとつは現在明治通りが通っているところを南下して、穏田神社近辺で渋谷川に合流していました。この南下する流れは穏田地区の水田の灌漑用に整備された水路だといわれており、増水時は直接合流する水路に水を流していたとのことです。水田は明治末には消滅してしまったそうです。


神宮東池からの小川

 一方、明治神宮東池と現在の原宿駅宮廷用ホームの北側にあった池からも明治中頃まで灌漑用に水路が引かれていて、南池からの小川とあわせ、谷筋の水田を潤していました。南池からの流路跡の北側に並行する細い道があり、この水路か後述の東郷神社からの水路のいずれかの痕跡と思われます。ホーム北側の池は大正末には埋め立てられたようですが、神宮東池の方は小さくなってはいるものの現存しています。


東郷神社神池

 近くの東郷神社にはもともとは湧水池であった「神池」があります。一帯は大正期までは鳥取藩主であった池田氏の邸宅で、当時の池は800坪あまりの広さがあり、冬には百羽を越える鴨の群れが来訪していたそうです。池には滝をつくるために明治神宮東池からの川の水も引き込んでいたといいます。その際、東池からの川は池のある窪地とは丘を隔てて一本西側の谷筋を流れていたため、暗渠で丘を抜けさせ、そのまま段差を利用していたようです。現在では池の広さは半分ほどになり、水も循環させているそうです。


東郷神社神橋

 池の南側の道路には石橋が残っています。橋の下には水はなく、浅い窪地となっています。窪地は池の水面より高くなっていますが、江戸期の地図をみるとこの辺りから水路が流れ出て、東池からの川に合流していたようです。


 ここまで渋谷川上流部とその支流をたどってきましたが、次回からは渋谷川最大の支流宇田川の水系を辿っていくこととします。

2015年追記:南池からの川については2011年に以下の2本の記事で詳細に紹介しています。ぜひ御覧ください。

「明治神宮「清正の井」から流れだす川とその先の暗渠。」
 (2011/09/23公開 みちくさ学会記事)
・「みちくさ学会記事「明治神宮「清正の井」から流れだす川とその先の暗渠。」補完」
(2011/09/23公開 東京の水2009fragments記事)


0 件のコメント:

コメントを投稿